- 7inch
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- New Release
西岡恭蔵
GYPSY SONG / NEVER LAND
SOLID RECORDS /- Cat No: SOLID-53
- updated:2026-03-11
細野晴臣とも共鳴コラボレーション関係の深かった関西の伝説的SSW西岡恭蔵が、メキシコ、マイアミ、バハマ、ニューオリンズへの旅行を経てL.Aで録音した1977年リリース4作目となる名盤「南米旅行」より、 トロピカル・レイドバック・メロウ代表曲のひとつ「GYPSY SONG」とスティール・パンの響きも印象的なエキゾチック黄昏レゲエ調ブルージーソウル名曲「NEVER LAND」がカップリング数量限定初7inch化!!
Track List
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Side. A
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1. GYPSY SONG
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Side. B
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1. NEVER LAND
西岡恭蔵プロフィール(にしおか きょうぞう、1948年5月7日-1999年4月3日)
三重県志摩半島出身のシンガーソングライター。愛称は「ゾウさん」。
近畿大学に進学して大阪に出た西岡は1969年8月に大塚まさじと石村洋子が開業した大阪難波のフォーク喫茶「ディラン」の常連だった。ディランはフォーク好きの若者達が全国から集うたまり場だった。
西岡は大塚まさじと常連だった永井洋とフォーク・グループ「ザ・ディラン」を結成、フォークキャンプや中津川フォークジャンボリーに出演したが1971年に西岡が脱退、大塚と永井は「ザ・ディランII」を結成。後に西岡の代表曲にもなる「プカプカ」は象狂象のペンネームで作詞作曲を行いザ・ディランIIへ提供、1971年7月にザ・ディランIIがURCから発売したシングル「男らしいってわかるかい」のB面で最初に発表された。
西岡はソロ活動を開始、1972年7月に吉野金次プロデュースによるデビュー・アルバム『ディランにて』をベルウッドから発表。このアルバムには西岡が歌う「プカプカ」が収録された。1973年9月に東京の文教公民館で開催されたはっぴいえんどの解散ライヴ「CITY - LAST TIME AROUND」に出演、1974年1月に発表したアルバム『街行き村行き』は細野晴臣がプロデュース、1975年『ろっかまいべいびい』は鈴木茂のハックル・バックがサポート、西岡は細野晴臣のプロデュースで3枚のアルバムを残し親交を深めた。
妻であり作詞家のKUROと共に矢沢永吉などのアーティストへ歌詞や楽曲を提供、KUROと2人で世界中を旅する中で『南米旅行』(1977年)『ヨーソロ』(1979年)『ニューヨーク・トゥ・ジャマイカ』(1981年)と海外録音を行いレゲエやカリプソなど世界中の音楽を積極的に取り入れたアルバムを発表した。1980年代には岡嶋善文とのユニットKYOZO&BUN名義で作品を発表、1990年代には再びソロ活動に戻り『START』(1993年)、『Farewell Song』(1997年)を発表した。
1997年に妻のKUROが逝去、その後も音楽活動を続けたが、1999年、50歳で生涯を閉じた。
西岡恭蔵の音楽はフォークの枠を超え、ジャズやトロピカルな要素を取り入れた独自の世界観を築き上げ、日本の音楽史において重要な足跡を残している。
三重県志摩半島出身のシンガーソングライター。愛称は「ゾウさん」。
近畿大学に進学して大阪に出た西岡は1969年8月に大塚まさじと石村洋子が開業した大阪難波のフォーク喫茶「ディラン」の常連だった。ディランはフォーク好きの若者達が全国から集うたまり場だった。
西岡は大塚まさじと常連だった永井洋とフォーク・グループ「ザ・ディラン」を結成、フォークキャンプや中津川フォークジャンボリーに出演したが1971年に西岡が脱退、大塚と永井は「ザ・ディランII」を結成。後に西岡の代表曲にもなる「プカプカ」は象狂象のペンネームで作詞作曲を行いザ・ディランIIへ提供、1971年7月にザ・ディランIIがURCから発売したシングル「男らしいってわかるかい」のB面で最初に発表された。
西岡はソロ活動を開始、1972年7月に吉野金次プロデュースによるデビュー・アルバム『ディランにて』をベルウッドから発表。このアルバムには西岡が歌う「プカプカ」が収録された。1973年9月に東京の文教公民館で開催されたはっぴいえんどの解散ライヴ「CITY - LAST TIME AROUND」に出演、1974年1月に発表したアルバム『街行き村行き』は細野晴臣がプロデュース、1975年『ろっかまいべいびい』は鈴木茂のハックル・バックがサポート、西岡は細野晴臣のプロデュースで3枚のアルバムを残し親交を深めた。
妻であり作詞家のKUROと共に矢沢永吉などのアーティストへ歌詞や楽曲を提供、KUROと2人で世界中を旅する中で『南米旅行』(1977年)『ヨーソロ』(1979年)『ニューヨーク・トゥ・ジャマイカ』(1981年)と海外録音を行いレゲエやカリプソなど世界中の音楽を積極的に取り入れたアルバムを発表した。1980年代には岡嶋善文とのユニットKYOZO&BUN名義で作品を発表、1990年代には再びソロ活動に戻り『START』(1993年)、『Farewell Song』(1997年)を発表した。
1997年に妻のKUROが逝去、その後も音楽活動を続けたが、1999年、50歳で生涯を閉じた。
西岡恭蔵の音楽はフォークの枠を超え、ジャズやトロピカルな要素を取り入れた独自の世界観を築き上げ、日本の音楽史において重要な足跡を残している。

演奏は山岸潤史(g) 石田長生(g)らソーバット・レビューのメンバーを中心に、ヴァン・ダイク・パークスやタジ・マハールとの共演で知られる名手スティール・パン奏者、ロバート・グリニッジも参加。(FLATT THE LAIDBACK)EXHUME EXHUME PRODUCTION×HMV RECORD SHOPによるリイシュー・プロジェクトによる名仕事。